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2011年5月の4件の記事

2011年5月26日 (木)

MomotaSuperRhythm オリジナル曲 『バーディー』


音声:Momota Super Rhythm 『バーディー』 5'07"

昨年末にアマチュアバンド 『百田スーパーリズム』 でライブに出たときの演奏の録音です。

機材:RODE NT4(マイク)/KORG MR-2(録音機)

この曲は Birdie というタイトルで、ギター&MCのサトちゃんが作りました。サトちゃんはゴルフの石川遼選手の大ファンで、この曲は彼に(勝手に)贈る応援曲なのだそうです(^o^) 青い空に白いゴルフボールがまっすぐ飛んでゆくような雰囲気を出そうと、みんなでがんばりました。

それから同時に撮影した動画をサトちゃんが youtube に投稿しました。どちらもよろしければお聴きになってみて下さい。

2011年5月13日 (金)

夏の猫のお留守番対策(私案)

いつもご覧いただきありがとうございます。先ほどアクセスログを見てましたら、「猫のお留守番夏」で検索してお越しになった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

おそらくその方も猫さんの飼い主さんで、今年の多分暑い夏をどう乗り切らせようかと検討されてたのかなと思いました。私もはなを昼に部屋でひとり留守番させなければならなかったのですが、夏季にはやはり暑い思いをさせて来たのだと思います。毎年どうしても体重が減り、見た目にもかなりやせました。

猫は寒がりで、暑い日は1年に3日しかない、とか聞いてましたが、さすがにやばいということで、一昨年いろいろ考えた挙句、人間用の保冷剤が入った枕を買いました。冷凍庫で冷やせば、8時間くらい冷たいまま使える枕です。近所のスーパーやホームセンターで売ってました。

はなのすぐ後ろにおいてあるのがそうです。保冷剤を水色の厚手のカバーに入れて使います。最初、はながこれを気に入るかどうかわからなかったし、もし気に入りすぎて、ずっと使って冷えすぎても困ります。自分で使ってみたこともありますが、そのままではちょっと冷えすぎて寝つけなかったりしました。そこでカバーの上からさらに私のシャツを数枚巻いて置いておきました。その結果、

はなはけっこう気に入ったようで、2回の夏をこれで乗り切ってきました。客観的に言って、これが良い方法なのか分かりませんし、冷えすぎにも十分注意しなければならないのですが、私たちなりの対策ということで、よろしければご参考になさってみて下さい。

今年の夏も、あなたと愛する猫さんにとって良い夏になりますように願っております(^-^)/

2011年5月12日 (木)

【春缶36-2】猫のはなちゃんのお留守番(雨)


音声 27'30"

猫のはなちゃんは家猫で、私が外出してる間はずっと家で留守番してました。どんな音を聞いていたのだろう、ということで録音してみました。午後4時前、春の雨。ベランダの戸を開けると、ひんやりとした空気が網戸越しに流れ込んできます。

機材:RODE NT4(マイク)/KORG MR-2(録音機)


はなの声(同じ音声を毎回再掲載しています 0'10")

2011年5月 5日 (木)

はなちゃんは、私が家に居る日を待っててくれた気がします


はなの声(再掲 0'10")

猫のはなちゃんが他界したとき、側に居られたのは、せめてもの幸運だと思いました。でも、あれから8日が過ぎて、幸運もあるけど、何よりはな自身が、私が家に居る日を待っててくれてたんじゃないか、と思うようになりました。

そう思う根拠が3つあります。

ひとつめの根拠は、確率です。
私は夜勤専門の仕事で、家で夜を過ごせるのは4日に1回しかありません。この時点で、私がはなを見送れる確率は 25% です。
そしてふたつめの根拠で書く通り、亡くなった「休みの晩の20時」というのは、はなと過ごせるいちばん長い時間が決定する時刻でした。4日間を1時間づつ刻んだ 96時間の中でも、お別れの時刻としてこれ以上の時刻はありません。そこにはなの意志のようなものを感じます。私は翌日夕方の出勤時刻まで、はなと最後の時間を大切に過ごすことができました。

ふたつめの根拠は、20時に、はなが「これ以上ない」時刻になったことを、多分認識可能だったことです。
私は下記のような4日単位のシフトパターンで勤務しています。
1日目:朝起床、 洗濯、はなと昼寝、15時出勤
2日目:9時帰宅、洗濯、はなと昼寝、15時出勤
3日目:9時帰宅、洗濯、はなと昼寝、17時出勤
4日目:7時帰宅、はなと昼寝~午後起床~夜自宅ではなと就寝

休みでない日は遅くとも17時には家を出発して、そのまま次の朝まで帰りません。20時に私が家に居るということは、その晩は私は家ではなと一緒にずっと過ごせるということです。
もちろん猫のはなが人間用の勤務予定表を読める訳はないでしょうけれど、経験的に
「夏缶ちゃん(私)がいま(20時)家に居るなら、明日の夕方までずっと一緒に過ごせる」
と分かっていたと思います。

20時になって、私が家に居ることで安心したのか、自分が亡くなった後も私とできるだけ長い時間一緒に居たかったのか、それとも私に見送らせてあげようと思ってくれたのか、いずれにしても、それははなの私に対する愛情だったと思います。

みっつめの根拠は、はなの体力が本当に底をついていたことです。
はなは慢性的な低血糖で、かかりつけの獣医さんによると「ありえないくらい低い」そうです。
1年くらい前から、月に1回ほど発作を起こして、嘔吐と荒い呼吸に見舞われてきました。
3月くらいからは定期的に点滴をするようになり、発作は起こらなくなりました。亡くなる3日前にも点滴を済ませたばかりで、私は安心し切っていました。
でも、最後の発作が起こった瞬間、私は「これはいつもの発作だ。だけどこれまでのように回復する余力がない。」と直感しました。
嘔吐といっても吐くものがほとんどありません。そして呼吸はいつもと同じ荒れ方ながら、それを支える体力が全然ありませんでした。
亡くなるまでの時間は1分くらいだったと思います。
私はどうすることもできず、ただはなの顔を手のひらで包んで、呼びかけ続けることしかできませんでした。
そうなってまで、ぎりぎりまで、はなは私が家に居る日を待っててくれた気がします。

亡くなる日の朝、勤務明けで帰ってきた私は、明るい日差しの中で、はなと昼寝に入りました。
いつもの通り、私の左腕を枕にして(重い~)、顔と顔をつき合わせて短い会話を交わしました。
いつもより小さく短い声で、2往復半の短い会話でした。これも今にして思えば、体力が底をついていたからなのでしょう。
でも、それでも、はなの声は、私への信頼と愛情でいっぱいでした。
昼ごろに起きて、またはなと遊びました。抱っこしてあげると本当に嬉しそうにしていました。

その日の午後、私は出掛ける予定でした。
取手市内の床屋に行って、日暮里の銀行に行って、上野の自転車屋へ普段&通勤用の自転車を見に行く予定でした。
でもまあ何となく、いつもの通り、自宅でのんびり過ごすことになり、はなの横に座ってネットで自転車をあれこれ検討していました。
もし、このとき本当に出掛けてたら、私ははなの最後に立ち会うことは出来なかったでしょう。
こればかりは、何が知らせたということもなく、ただの偶然ですが、もしそんなことになっていたらと思うと怖くて仕方がありません。
私を待ってくれたはなにも、私を立ち会わせてくれた神様にも、心から感謝したいと思います。

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この8日間をかけて、私ははなとの思い出を整理してみました。
写真も声も、あらためて、はなが私をどれだけ信頼し愛してくれてたかを確信させてくれました。

いまひとつの夢を持っています。
ある日、街角で子猫が私に声をかけてくる。
姿は少し違うけど、私はそれがはなの生まれ変わりであることを直感する。
「はなちゃん」と呼ぶと、彼女は私の胸に跳びついてくる。
18年前、初めて町田市で出会ったときと同じように。
そして、私たちの新しい一緒の時間が始まる。
・・・いつになるか分かりませんが、そんな日を心待ちにしています。

(つづき→)黒猫のなみちゃんがうちの子になるまで

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ペットの不思議な側面を書こうと思ったのですが、思わず長文になってしまいました(汗)
最後までお読み下さって、本当にありがとうございます。
もう少し書きたいことがあるのと、はなちゃんのお留守番シリーズも予定しています。
野外録音も細く長く続けて行きますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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